福井中央ライオンズクラブ(公式サイト)

1972年(昭和47年)ー1981年(昭和56年)
第59回国際大会(ハワイ)にて、ゴールデンペン大賞(PR部門最優秀賞)を受賞。
また、初めての地区キャビネットを担当。L.安川繁次がガバナーに就任する。

1972年(昭和47年)

初めての地区キャビネットを担当する。当クラブ会員L.安川繁次が302E-6地区(北陸3県に岐阜・三重)ガバナーに就任し1973年5月には福井市運動公園にて第19回302E-6地区年次大会が盛大に開催。 式典の途中、佐藤栄作元首相が顔を見せるといったハプニングも起きた。

福井葵ライオンズクラブをエクステンションする。

1974年(昭和49年)

302E-6地区キャビネットでL.仙坊光男は地区YEP実行委員長に選ばれ派遣学生32名、受け入れ学生23名を成し遂げた。これに対し全世界の地区YEP委員長から10名が選ばれる「YEトップテン賞」で第1位に輝いた。
 
「不死鳥の願いを込めた少年のつどい」と題した大型ACTが行われた。
福井市周辺部17小学校の6年生360名を集め宿泊研修と体育行事を行い、子供たちに夢と希望を与え、明るく住みよい秩序ある社会をつくりたいという目的を持っていた。
クラブの全会員が1家族2〜3名の子供達の宿泊を引き受けて実施され子供たちからは「ライオンズの家族同様に歓迎され、とても楽しかった」と喜ばれ、担当された先生からは「子供たちの顔がこんなに明るくしかも伸び伸びと体操やゲームをしている姿を見て本当に良かったという気持ちで一杯です」と礼状が届いた。

1976年(昭和51年)

福井九頭竜ライオンズクラブをエクステンションする。
第59回国際大会(ハワイ)にてPR部門活動に対して与えられる最優秀賞「ゴールデンペン大賞」を受賞。この受賞祝賀会が福井人絹会館で開かれ、記念事業として福井市内の新聞少年にアノラック20着を贈呈した。

1977年(昭和52年)

結成15周年記念式典が福井市農協会館で行われる。

1978年(昭和53年)

言語障害児の早期発見「希望のこだま運動」を行う。
このACTの目的は、0〜3才児の言語障害の早期発見と早期療育で、140名の会員総出で街頭キャンペーンを行うと共に福井放送で「いつかきっと話せる言語障害児の早期発見と早期療育」と題する啓蒙番組を放送。この番組のビデオを各機関に寄贈した。また、この後には、「愛のともしび運動」を行い鯖江市の社会福祉法人「光道園」の障害者のみなさんの音楽クラブ「ミック・バラーズ」の演奏会を開き約1500人の聴衆を感動させた。こうした一連のアクティビティに対し、当時のライナム国際会長より特別賞を受賞した。

1980年(昭和55年)

5つの国際アワードの受賞を界し金字塔に輝く。
受賞した国際アワードは①クラブ会報コンテスト優賞②クラブ広報活動コンテスト佳作③写真コンテスト国際サービス部門優賞④同教育部門優賞⑤トップテンクラブ奉仕事業優賞の5つ。これは単一クラブが単年度に受賞した記録としては、世界のどの地区にも例を見ないことで、輝かしい金字塔といえます。
この受賞記念式典は1982年3月に結成20周年記念式典と同時に行われ、日本人で初めての国際会長村上薫Lからお祝いのメッセージが届きました。


輝くゴールデンペン大賞 (1976年6月、ハワイで開かれた国際大会で受賞)